正しい絶望のすすめ

"「普通がいい」という病 (講談社現代新書)"(泉谷閑示 著)からの引用です。



渋谷行きのバス停で新宿行きのバスを待ち続けている人がいます。待てども待てども、渋谷行きしか来ません。もう何時間も待ちぼうけを喰らって、「絶望だ!」と嘆く。そのとき通りがかった人が、「ここは、渋谷行きのバス停だよ」と彼に告げます。彼は、すぐにそこで待つことをやめ、別の行動に移ることでしょう。

これこそが、本当に望みを絶った「絶望」の姿なのです。つまり、本当に「絶望」した時、人は「執着」を去り、「自由」になるのです。それはもはや、そこで当てにして待たなくてもよい「自由」です。そして本当に必要な行動を、主体的に自分が行っていけるのです。 このように「絶望」の苦しみは、残していた一抹の期待をきちんと捨てること、つまりそこからさらに一歩を推し進め、しっかり「執着」を断つことによって、真の「絶望」が訪れ、「自由」に解放されていくものなのです。

絶望」と嘆きたくなった時には、そもそも残している期待の方が問題なのではないかと、一度落ち着いて考えてみる必要があるのです。螺旋的思考「絶望」を推し進めると、「自由」に出る。「欲望」を大きなものに育てていくと、「愛」になる。





あるがままを受け入れること。
それは、ちゃんと絶望するということです。
つまらなくて、どうしようもない自分の人生に、何も持っていないちっぽけでみすぼらしい自分自身に、キチンと絶望することです。
それをせずに、あーしたい、こーしたいと妄想だけ垂れ流しても無駄です。
現実は変わる訳がありません。
渋谷行きバスで新宿に行けるわけがないんです。


自分を好きになること。
それは、自分に絶望することです。
無い物ねだりを辞めることです。
例えば、美人にしか似合わないデザインの服を着て十人並みのルックスの人間がモテるようになるのは無理です。
自分に一番似合う服を探せばいいんです。
ちゃんと自分は美人ではないと受け入れないと、自分に似合う服は見つからないでしょ。
(などと、ファッションに疎い私がこういう例えを出すのもなんだかなあと思いましたが。)

絶望して、現実をありのまま受け入れて、初めて新しい知恵が生まれ、道(未知)が開かれるんです。
今のままの自分で出来ることが見つかります。



運命を受け入れ、自分を受け入れて、自分らしく振る舞うと、好かれるべき人に好かれて、嫌われるべき人は去っていきます。
去っていく人を引き止めようとするのはアドラーさんも不毛だから辞めましょうと言っていますね。

今、私自身が実験中の生き方です。
心屋さんとか、色んな人が言っている事ですが、私なりの言葉で伝えてみました。


心鐘の里 (こころのさと)

OSHO禅タロット・神々の心のタロットを用いたカウンセリング&ヒーリング