クリティカル・シンキングのすすめ

釈迦は言いました。
盲信、盲従してはならない、私の言葉ですら疑えと。(意訳)

世の中で是とされていることを試しに疑ってみるという姿勢は、ごく当たり前に持つべきだと思うし、私はごく自然にそれをしてきました。
しかし、世の中の人の多くはそうではないなと感じています。
まあ、大衆から離脱したことのない人間には分からないものだと思います。
社会的マイノリティを自称する人ですら自分自身が常識に対する盲信を捨てない人が多いですから。
盲信する対象が常識ではなくて自分の体験になっているだけの人もまた、惜しいなと思います。


医療、科学、全ての学問、技術は宗教です。 
先進医療及び精神科医療は新興宗教です。
それを理解した上でないと、全ての批判は所詮『盲信者の批判』でしかないんです。
だから人々は、医療が絶対に正しいという前提の上で代替医療をニセ医療と言って批判するような愚を、平気で犯します。

個人的には、クリスマスをケーキで祝って年末にお寺の除夜の鐘を聞いて新年に神社で初詣する日本人なんだから、いいとこ取りすりゃいいんじゃないですか?と思うのですが。
医療も代替医療も。

しかし、『反医療』という明確な敵対意識を持つことは、それこそその考えに盲信、盲従することだと思います。
違う思想がそこにある。それだけの話なのですが、互いの正しさを掲げてお互いの粗探しをするのが戦争です。
あのね、どんな人間にもどんな思想や学問にも死角や弱点、矛盾点はあるものです。それぞれ得意な分野があるように。
そこをいちいちつついて水掛け論なんて、不毛じゃないですか。
医療という宗教の方が、利権があるので分があるかなと感じます。
御用学者にそれっぽい記事を書いてコメントして貰えばいいのだから。

私の信頼する代替医療だったり、スピリチュアルだったり、心理学だったりは、医療や科学の信者からすると多勢に無勢。
だから、淡々と問題提起していくのがいい気がします。
反発は反発を産むから。
権力は残酷で情け容赦ないですから。
クリティカルシンキングも出来ない癖に、科学や医療という宗教に依存してものを考えている癖に、自分たちが正しいと思い込む愚かな人たち。
そういう人たちに、何から伝えればいいのか私にはまだ分かりません。
私がしたいのは戦争ではありません。
精神福祉施設で働く私のひとりごとです。

キリストは言いました。
罪を悔い改めよと。
隣人を愛せよと。

心鐘の里 (こころのさと)

OSHO禅タロット・神々の心のタロットを用いたカウンセリング&ヒーリング