寄り添う

この心屋さんの記事が言っていることと、私が『占いセッションサンプル』で自らを占った結果、導かれた答えが同じだったことが嬉しかったです。

Osho禅タロットでのセッションでも感じたことがあるのですが、カードの配置は、その時だけでなく、少し未来に再検証すると更に深い意味や味わいが出てくる事が多く感じます。
その時に出たカードの配置は、種というか、成りたての若い実というか。
それが時間が経つにつれて熟していく。

その時に出たカードの配置は、そこから全てが始まる「可能性の示唆」という感じでしょうか。

それは、ネイタルホロスコープを読む時の感覚に似ている気がします。
占いセッションサンプルは講座に提出したもので、師と一緒に検証したときに、恐れや思い込みなどが占いの読み方の「広がり」を阻む事があると感じました。
読み取る未来の広がりが狭くても、広くても、その時の読み方は間違いではないのですが。
例えば目の前の些末な問題は、その人の人生の課題が映し出されたものであるわけだから、それを解決していくことは自分の人生観を進化させていくことに繋がるからです。
しかし、物事をより広く捉えられたら、その向き合っている問題からより早く卒業できるような気もします。

恐れや焦り怒りなどを抱く自分を厳かな気持ちできちんと見守り、丁寧に言語化する。
というのは、私の推奨する心理学的なトラウマの乗り越えかたなのですが、(すみません、なんか小難しいこといってますがたぶん『心屋流』です)、タロットというツールを使ってそれが出来るし、折角だからそれを最大限に生かして使いたいと思いました。

カードの配置の読み方の広がりを阻むものは、クライアント側だけでなく、セラピスト側の問題であることもあり、セラピストはクライアントに心を開いて頂く際に、言葉の使い方を最大限に配慮したいし、同時に透明で誠実な存在で居続けたいと思いました。
自分自身の問題をクライアントに投影してしまうことをできる限りなくすために、セラピストは日々自分の心の垢を落として行かなくてはなりませんね。

カードは嘘をつかない。
そうすると、その伝え方について、セラピストがどこまで透明で誠実であり続けられるかが、タロットセラピストとしての矜持(きょうじ)なのかな…なんて思った次第であります。

心鐘の里 (こころのさと)

OSHO禅タロット・神々の心のタロットを用いたカウンセリング&ヒーリング