「虐待ですよね…」

とある方が子供の頃に親にされた事を聞いて、「それって、虐待ですよね」って言葉を臆せずに言った私に、周囲の皆さんが顔を曇らせた。 


 ああ、これだから怪しいセラピストは…なんでも親のせいにして…と思われたのかしら。

(^^ゞ


そうじゃないんだよなあ…そこ、濁しちゃいけないんだよなあ。 


 「あなたの受けた仕打ちは客観的に見て理不尽なんですよ。だから傷ついて当然なんですよ。それを覚えているっていうことは、あなたは傷ついていたんだよ。傷ついていることを誰かに知って欲しかったんでしょう。今までの心の無理が祟ってまるで病気のように見えたけど、傷ついて萎縮したり暴走したりするのは、こころの自然な反応なんだよ」 


 っていうのは、第三者が伝えなきゃならないと思う。 敢えて言う役割は必要。

だから、私はそういう話をしてくれた人に対して、子供の視点になることにしている。 


原因探しに意味はない?

はあ?

こんなに分かりやすくおもむろに幼少期の経験を話す人を前にして、どうして皆さん分からないんですか?逆に不思議です。


それ、虐待ですよねっていうのは、親を断罪するのが目的ではなくて。

「親にそんなことされたら(子供的に)傷つくの当たり前だよ」って伝えたいだけです。


 だけど。

 「親としてはそんなつもり無かったんだろうけどね」

 「無闇に虐待とか毒親とか言ったら駄目だよ」

っていう謎の抑止がかかる気がします。 


はあ?そんなの当たり前じゃないですか。

だからこそ言わなきゃならないんですよ。

一度も「虐待的行為」を無意識にでもしていない親など、多分居ない。

毒にならない親など一人もいない。 程度の差なんだ。

でもその程度の差、重要じゃないですか。他人の目が必要じゃないですか。


だから、親にされた行為に傷ついたその人が折れちゃ駄目。

親には多分悪気がなかった、と重症な人間ほど親を擁護する。

親に悪気なくても傷ついた事実はスルーしちゃダメです。

少なくとも、忘れず記憶に残っていて、ふとした瞬間に他人に話したくなるような事柄については。

ずっと覚えているくらい傷ついたままなんでしょう?


親にそんなつもりはなかったら、子供が傷つくのがおかしいんですか? 

傷ついた魂は、年月がたっても成長出来ないんですよ。

今の自分の責任を親に押し付けるのと、親の行為に傷ついたとただ言うのは違う。

親を責めてはいけないって風潮、馬鹿じゃないのかと思ってしまいます。

そこにある事実を指摘してるだけ。

親を怨んでも解決しない?

怨んだっていいじゃない。

怨み続けたら心身に良くないだけで。

薬だって飲んだっていいんだし。

ダラダラと5年も10年も飲み続けたら良くないだけで。

心鐘の里 (こころのさと)

OSHO禅タロット・神々の心のタロットを用いたカウンセリング&ヒーリング