最近のタロットリーディング結果2

 とある事柄についての哲学的探求 (禅タロット) 



誰の為の、何の為の嘘? 取り繕うのはいい加減に辞めなさい。 
心、ここにあらず。 重大なことをを引き延ばすのは、 そろそろおしまいにしなさい。 
遊びに陶酔しようとも、 気持ちは上滑りしてしまうだろう。 それは逃避の為の遊びである。 

過去を癒すとき。 覚悟を決めてカルマにとりかかりなさい。 
誰かにすがる為でなく、 誰かを恨む訳ではなく、 自分の為に泣くのだ。 哀しみを否定してはいけない。 その先に待つものは歓喜であるのだから。 
変わろうとせずに 今の状況にしがみ続けることは絶望である。 いつまで虚しい明日を迎え続けるのか。 もう限界が来ている。 身体が割けてしまう前に手を離しなさい。 とても恐ろしく感じるだろう。 しかし、 それは頭の中の出来事なのだ。 地面に叩きつけられて死ぬことはない。 

情熱のまま、己を表現せよ。 うつむかずに上を見よ。 全く違うものが見える筈。 真の自分に目覚め、 己が蝶であることに気が付くことだ。 

成功が待ち受ける。 パレードが始まる。 頂点も、どん底も、 楽しみ、味わい尽くせ。 




 カード読みと言葉選びの練習と検証なので、なるべく簡潔にしました。


 和尚の思想が自分の中に入ってないと、確かに禅タロットって怖いカードだ。 

このカードが好きか嫌いか、ということは、oshoが好きか嫌いか、ということなのだろう。

嫌いは、時に弱さであるが、別に弱いことは悪いことではない。

しかし、弱さを理由に他者を傷つけることは避けたいものだ。

自分を見つめることから逃げる人間に、他人を導くことなどできない。


高みから「できていない者を嗤う単なる悪趣味」を心理学だと勘違いしている人間が最近多すぎるように思う。

私も度々そういった愚を犯す。 


だが、忘れてはならないと思うのは、嗤う者の魂が「体験している者」の魂に叶うことは決してないということ。 


失敗すら未経験の人間は、いつか自分の弱さ、無責任さ、傲慢さ、依存心。 それらに気が付いたとき、自分を心から恥じるだろう。

嗤ったことを、黒歴史としたがるだろう。

それが氣づきであり、目覚めなのだ。


舞台に上がれ。役を演じろ。

それが、本当の高みであるのだ。



禅タロットは、ひとつのカードで陰陽、両極が完成している。 

例えばこのカード。  




泣いているのは、仏陀の弟子。

この者の名前はアーナンダ。

 『幸せである』という名前の人間が、師を喪った哀しみにあけくれ、慟哭している。 



幸せは、悲しむべきときに悲しむことであるのかも知れない。





楽しくなる為に笑うのはいい。 
ただ、 哀しみを無かったことにしてはいけない。
良かった探しも、程ほどに。 



 アーナンダの嘆きが出た後に、マスター(己のマスターは己)が出る。 

ガイドブックの説明では、マスターを『蝶』であると形容する。 

その隣に羽の描かれた、ニュービジョンのカードが出る。 

意味を強調し、補完しあうのが禅タロットの面白いところ。 




永遠の哀しみは続かない。 

永遠の喜びもない。

今を味わい尽くせ。

人生はゲームであり、実験だ。




自分でタイミングを選ばないと、そのうち強制シフトが来るんだろうな…やれやれ。


心鐘の里 (こころのさと)

カウンセリング及びヒーリング。OSHO禅タロット・神々の心のタロットを用いた内観。気功・アクセスバーズ。